弥次さん喜多さんトンちんカン珍道中
弥次さん喜多さんが行く所、必ず騒動が巻き起こる!?
大いに笑える二人の大珍道中のはじまり!
ひとみ座「東海道中膝栗毛」シリーズ第二弾は、佃典彦(劇団B級遊撃隊)脚本による、
“大江戸人形喜劇” 弥次さん喜多さんトンちんカン珍道中!
ものがたり
まんじゅうの大食い大会で起こした大失敗から、江戸を追われてしまった弥次さんと喜多さん。
逃げるだけではつまらないと今流行りのお伊勢参りに向かう。
二人の行く先々、必ず起こるとんでもない大騒動。
さらに二人を執拗に追い回す役人の桃右衛門や、
大食い大会でなんと子どもに負けた傷心の相撲取り鬼の山なども加わり、
伊勢までの大珍道中がはじまる―――
舞台のイメージ
お伊勢参りに行くことを思いついた弥次さんと喜多さんは、
神田八丁堀から東海道を西へ西へと向かいます。
参勤交代や膝栗毛ブームで、当時の東海道は大賑わい。
日本橋から三条大橋までの間に「東海道五十三次」と呼ばれる宿場町が出来ました。
二人の愉快な旅路を彩る 庶民の娯楽「伝統芸能」の数々
講談や太鼓、笛に三味線、果ては皿回しまで、そしてもちろん人形芝居!
賞金目当てに参加したまんじゅうの大食い大会、弥次さんと喜多さんは勝つために相撲取りの〝鬼の山〟に代わりに参加させるが…
五右衛門風呂に初めて入るふたり、〝ふた〟はなくても大丈夫?!
百二十二連敗の鬼の山、
駿河の実家でおっ母と感動の再会と思いきや…
大井川を渡っていたら、その果てに…ここはどこ?
なんと歌舞伎の舞台にも立っちゃった!
やっと伊勢に到着!みんなでそろって伊勢音頭!
「東海道中膝栗毛」ってどんなおはなし?
日本を代表する大長編コメディー
江戸時代後期1802年より14年間、十返舎一九により8編18冊も書かれた大長編滑稽本が「東海道中膝栗毛」です。ひょんなことから当時流行のお伊勢参りに弥次喜多ドタバタコンビが出発、神田から大阪までの珍道中を描きます。
弥次喜多の時代は一大旅行ブーム
参勤交代により街道や宿場町が整備され、庶民の間でも旅行が流行しました。中でも「お伊勢参り」は定番中の定番。電車も車もない時代、それでも町民から子どもに至るまで、のんびり徒歩旅行を楽しみました。「膝栗毛」とは徒歩旅行のこと、栗毛(の馬)の代わりに膝を使って歩くという意味です。
その背景にある 待ち望まれた平和な世の中
弥次喜多の生きた時代は、戦国時代の後に訪れた天下泰平の世。街道や宿場町を人々が行き交い旅行ブームなるのも、「明日生きていられるだろうか」から「明日をどうやって豊かにしよう」と庶民が考えるようになった証です。 戦乱で埋もれていた芸能が各地で再び盛んに行われたのもまさにこの時期。 平和があるから大らかに笑って生きられる。ドタバタ喜劇に込めた、私たちが子どもたちと共有したいメッセージです。
ダイジェスト動画
スタッフ
脚本 | 佃典彦(劇団B級遊撃隊) |
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演出 | 山本コーゾー |
人形美術・演出協力 | 伊東亮 |
舞台美術 | 田坂晴男・本川東洋子 |
音楽 | やなせけいこ |
音響 | 田辺正晴 |
照明 | 石川哲次 |
舞踊所作指導 | 花木雄二朗 |
宣伝美術 | 三浦佳子 |
制作 | 石川哲次 |
実施要項
作品名 | 「弥次さん喜多さんトンちんカン珍道中」 |
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上演時間 | 1時間30分 |
編 成 | 7名(ホール公演9名) |
対 象 | 幼児・小学生・一般 |
対応企画 | 公立文化ホール自主事業/教育委員会主催演劇鑑賞会/小学校演劇鑑賞会・演劇教室/子供会演劇鑑賞会/各種鑑賞団体鑑賞会・例会/イベント等 |
会場条件 | 文化会館・市民会館・市民センター等(中ホール・小ホール)/多目的ホール/体育館/公民館 |
理想観客数 | 400名〜700名前後 |
舞台最低条件 | 間口10m/奥行7m/プロセミアム高4m |
舞台設営 | 3時間00分(ホール4時間30分) |
舞台撤去 | 1時間30分 |
照 明 | ホール設備+一部持ち込み 体育館は全て持ち込み |
音 響 | ホール設備+一部持ち込み 体育館は全て持ち込み |
移動方法 | 器材運搬トラック2名/公共交通機関7名 計9名 |
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